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同性パートナーと暮らす私が考える「結婚」や「恋愛」

先日、『ねほりんぱぽりん』という番組で『友情結婚』についてやっていました。

 

「なんやこいつクズだな~」と思ってイライラを募らせたのはさておき、思っていた友情結婚とは違ったのが衝撃でした。

 

私は同性のパートナーと一緒に生活をし、ちょうど「結婚式やりたい」という話も最近しています。

ですが、私たちの関係性は、同性同士であることに加えて、おそらく一般的な考えとは違ったことが多くあります。

 

友情結婚同性婚、私たちの変な関係性、このあたりをテーマに、ぐるぐる考えていることを書き出していきます。

 

「こんなパターンもあるんか」ぐらいに思ってもらえたら嬉しいです。

 

 

 

私のセクシュアリティとか

まずは私のセクシュアリティについて簡単に書いていきます。

 

私は「パンセクシュアル」を自認している、シスジェンダーの女性です。

 

横文字が多すぎて自分でも混乱します。

 

パンセクシュアル=全性愛者。性別関係なくあらゆる人間が恋愛対象となりうる。

 

シスジェンダー=体の性(戸籍上の性)と自認する性が一致している状態。

 

 

こんな感じです。

 

私のセクシュアリティ関連で、日頃から疑問に思っていることが2つあるので、ついでに書いておきます。

 

 

みんなはなぜ好きの対象が性別によって左右されるの?

私は「好き」の感情が相手の性別によって左右されません。

 

人間ならだれでも好きになる可能性があります。

 

しかし、大多数の人は異性愛者で、セクシュアルマイノリティの中の多くが同性愛者です。

 

つまり、世の中のほとんどの人が、相手の性別に恋愛感情が左右されている。

 

私にとってはそれが謎すぎます。

 

「本能だから」とよく言われますが、「本能に感情が支配されているのなんかヤダ」といつも思っています。

 

 

恋愛感情と性欲ってイコールなの?

先ほどの話と繋がっていますが、「同性に性欲を覚えたから自分は同性愛者なんだなと思った」的なことを耳にすることがあります。

 

「同性の親友への愛情と、異性の恋人への愛情の違いって何?」と聞くと、大半の人が「性欲の有無」と言っていきます。

 

私は、性欲を伴わない愛情も、性欲だけで愛情などない関係も、どちらも経験したことがあります。

 

その人が好き、大切、愛してる、そんな感情が愛情や恋愛感情というものではないのか?

 

性欲はオプションでいいのでは?

 

とよく思っています。

 

 

この話を拡大していくと、家制度やら婚姻やらの話になっていって収集がつかないので、またいつか。

 

 

パートナーとの関係性

同性のパートナーがいます。

 

よくある、好きになって告白して付き合って同棲した!というパターンにはあてはまりません。

 

 

最初はお互いのセクシュアリティを知っている友人でした。

 

一人暮らし歴6年目の私は、「そろそろ一人暮らし飽きた」と思って、同居人を探していました。

 

その同居人募集に反応してくれたのが、今のパートナーです。

 

色々話し合って、一緒に住もう!となった時に、お互いが恋愛対象になりうることに気づいた我々。

 

「たぶん一緒に住んでいたら、友情から愛情になると思う」

「私も。じゃあもう結婚するか~」

 

すごく要約しましたが、こんな会話を経て、友人からパートナーにステップアップしたのでした。

 

 

私たちは友情結婚

本来の友情結婚は、「互いの間に友情がある状態で、性行為の伴わない結婚」を指すのだと認識しています。

 

そもそも結婚に性行為が伴うのが前提なキモさは置いておいて……

 

私たちのような、「恋愛関係に発展する可能性ありだけど、友情に基づく同棲」も、友情結婚と呼んでもいいのかも……?と少し思っています。

 

私が現在絶賛うつ病中なので、性欲が皆無になっていて、それがまた事態を混乱させてはいるのですが。

 

生活を共にしていて、互いに情があって、パートナーだと思っている今の状況は、結婚と大差ないのでは?と思っています。

 

 

同性婚を早く認めてほしい

「交際」をすっ飛ばした我々ですが、「結婚」したい気持ちや、相手をパートナーだと思う気持ちはあります。

 

同性婚ができる世の中であれば、きっとしているでしょう。

(パートナーはあまりカミングアウトをしていないので、家族の問題ですぐに結婚するのは難しいかもだけど)

 

 

でもやはり、「結婚」と「世間体」は切っても切り離せないものなのかもと思いました。

 

いくら同性婚ができるようになっても、親と縁を切っていない限り、基本的に親へのカミングアウトが結婚をする前に必要なのだと思います。

 

私はカミングアウト済みかつスムーズに伝えられたので他人事のように思っていますが、カミングアウトは家族崩壊の可能性がある超大変なイベント。

 

いくら同性婚ができるようになっても、ごりごり家制度やら婚姻やらに縛られた頭の固い年長者たちは、すんなり受け入れてくれないでしょう(悪意のある言い方)。

 

 

私の友人に、「あなたがいいのならそれでいい精神で生きてる」と言っていた人がいます。

 

世の中みんなこの考え方になればいいのにねと思います。

 

同性婚ができるようになったって、異性愛者のみなさんには何の関係もないのに。

 

子どもが結婚してようがしてまいが、いくら親だからって関係ないのに。子どもの人生は子どものものなのに。

 

偽装結婚して既婚者の面をかぶらなくたって、自分の人生は自分のものなのに。

 

難しいですね。

 

 

「結婚式」のモヤモヤ

私とパートナーは、最近結婚式やりて~~と思っています。

 

結婚式についての知識が皆無な私たちは、最近めちゃめちゃ結婚式について調べているのですが……

 

モヤモヤが多いのです。

 

たとえば、新郎は一人で入場してくるのに、新婦は父親と一緒に歩き、父の手を離れたら今度は新郎の手を取る。

 

「え???女は一人で歩くこともできないと思われてるんか??父から旦那に受け渡される”物”だとでも???」なんてちょっと過激な意見が私の中に渦巻きました。

 

結婚式のデータを集めれば集めるほど、「挙式というのは”家”のためにやるものなのか……?」の気持ちが増していきました。

 

難しいですね。

 

 

おわりに

結局何が言いたいのかよくわからなくなりましたが、主に「結婚」にまつわるモヤモヤを書き出してみました。

 

「そんなにモヤモヤするなら難しいことは考えずに、好きなように生きたらいいじゃん」というのが正論です。

 

でも私はモヤモヤ考えるのが癖なタイプの人間。

 

こんなことを考えている・こんな状況で生きている人間もいるのだな~と思っていただけたら幸いです。